141 お飾り絵のコラージュ
98 小山田橋とラサの煙突
横浜在住の Tash さんという方からメールをいただいた。 宮古の思い出を記した文章で、アルバムから複写したという4枚の写真が添えられていた。 文章も写真も興味深いもので、了解を得て公表することにした。 ここに掲げた写真は、添えられていたもののうちの1枚である。 文章は 「渡船と小山田橋のことなど」 と題して、もう1枚の写真とともに 「投稿欄 ~ おらが宮古ばなす」 に載せた。 ぜひご覧いただきたい。 ラサの煙突と、木造の小山田橋―― 鮮明に記憶に焼きついている懐かしい光景である。 ただ、当時、自分では橋を、「吊り橋」とばかり呼んでいたような気がする。 小山田に架けられた橋だから「小山田橋」と呼ばれていたはずだとも思うのだけれど、 自分が「小山田橋」と呼んだという、はっきりした記憶はない。 八幡河原の渡船(とせん)も記憶には残っていない。 あとになって記録を読み、吊り橋が架けられる前は渡し舟があったのだと教えられた。 記録では「繰り舟」と書かれていた。 船頭はおらず、乗った人が自分で綱を手繰って向こう岸へ渡るのである。 築地と藤原を結んだ渡船には船頭さんがいた。 これはだいぶ後年まで営業していたから覚えている。 藤原の河口防潮壁の外側には渡船場の跡も残っている。 調べてみると、1975年頃まで営業していたらしい。 ちなみに、八幡河原の吊り橋は1958年頃までに架けられたらしい。 鉄筋に永久橋化されて正式に小山田橋と名づけられたのは1978年である。 (じん) |
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