宮高グラウンドで行なわれた野球大会の応援のあと、吹奏楽部を先頭に行進して一中に戻ったところ。 写真提供は横浜在住の Tash さん。 Tash さんの 「宮古一中吹奏楽部 創部の頃」 という文章を 投稿欄~おらが宮古ばなす に収録しました。 |
◆ 海嘯(つなみ)~鎮魂の詩(うた)
作詞:田畑ヨシ 作曲・歌:サスライメイカー
一 突然襲う 大つなみ
永久(とこしえ)忘れん あの怖さ
家と流され 諸人(もろびと)は
海の藻屑(もくず)と 消えゆきて
無念の涙 ほほつたい
今 静かなる 碧(あお)き海
悲しき海よ ふるさとの海
二 独り残りし 幼児(おさなご)も
人の情けに すがりたる
育てはぐくむ 慈悲もあり
親にかわりし 愛の手に
健やか育ち 子のありて
今 静かなる 碧き海
母なる海よ ふるさとの海
三 慰霊の前に やすかれと
花をばたむけ 手を合わせ
愛しき人の 思い出を
あたためながら ふるさとの
復興誓い 船出する
今 静かなる 碧き海
恵みの海よ ふるさとの海
作詞:田畑ヨシ 作曲・歌:サスライメイカー
一 突然襲う 大つなみ
永久(とこしえ)忘れん あの怖さ
家と流され 諸人(もろびと)は
海の藻屑(もくず)と 消えゆきて
無念の涙 ほほつたい
今 静かなる 碧(あお)き海
悲しき海よ ふるさとの海
二 独り残りし 幼児(おさなご)も
人の情けに すがりたる
育てはぐくむ 慈悲もあり
親にかわりし 愛の手に
健やか育ち 子のありて
今 静かなる 碧き海
母なる海よ ふるさとの海
三 慰霊の前に やすかれと
花をばたむけ 手を合わせ
愛しき人の 思い出を
あたためながら ふるさとの
復興誓い 船出する
今 静かなる 碧き海
恵みの海よ ふるさとの海
175 浄土ヶ浜ターミナルビル 解体へ
画像は Google ストリートビューから Google Map ■浄土ケ浜ターミナルビル:宮古の観光シンボル解体 老朽化進み、震災で傷 ◇抵当権者が解除同意へ2012年2月16日 毎日新聞 地方版 宮古市の景勝地、浄土ケ浜の玄関口にあって、老朽化が進む浄土ケ浜ターミナルビルが解体される見通しとなった。 建物に抵当権を設定する金融機関が抵当権解除に同意する意向を示したことで、所有会社「浄土ケ浜ターミナルビル」(破産手続き中)から市への無償譲渡の見込みが立った。 市民や観光客に40年近く親しまれた観光宮古のシンボル施設が消える。【鬼山親芳】 傾斜地を利用した鉄筋コンクリート造り3階建て(延べ床面積1985平方メートル)で、岩手県北自動車や地元経済人らが出資の同社が1973年、市から土地を借りて建てた。浄土ケ浜第1駐車場から続く屋上部分は眺望が楽しめる展望台として人気を呼び、大食堂や売店もにぎわった。 しかし、観光客の減少とともに会社の経営が行き詰まったことから、市は抵当権設定の老朽建物が観光地に残るのを心配。 昨年5月、建物の撤去と土地の明け渡しを求めて提訴したが、直後の会社の破産手続き開始決定を契機に宮古信用金庫など抵当権者から解除に同意が得られる見通しとなった。 建物での営業は10年12月から取りやめ、岩手県北バス観光船事業部が入居している。 震災では、水道やトイレが使えなくなるなど傷みが一段と進んだ。 市商業観光課によると、現在手続きが進められており、年度内に終わり次第、提訴を取り下げ、建物の無償譲渡を受ける。 解体時期は決まっていない。 松舘仁志課長は 「解体には2億円近い費用が見込まれる。 環境省が津波で被災した浄土ケ浜の整備事業を計画しているので、一体での跡地利用も検討したい」 と話している。 |
174 旧魚市場
画像は Google ストリートビューから Google Map ■旧宮古魚市場、解体工事始まる 「販売所」として親しまれ 2012年2月17日 毎日新聞 地方版東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮古市臨港通の旧宮古魚市場の解体工事が始まった。 戦前から「販売所」と呼ばれたかつての漁業の拠点施設で、地元の人たちが懐かしそうに見入っている。 宮古港の岸壁にある旧宮古魚市場は津波の直撃を受け、小型漁船が屋根まで乗り上げるなど3棟の建物と2棟の貯氷冷蔵工場が損壊した。 1960年の完成で、土地も建物も宮古漁協が所有。 96年に新しく宮古市魚市場が隣接の出崎ふ頭に公設民営で開設されるまでは水揚げする漁船でにぎわい、宮古の基幹産業を支えた。 魚市場移設後は旧本事務所があった北側の鉄筋コンクリート3階建ての建物(延べ床面積4522平方メートル)に漁業団体などの事務所が入り、他の建物も買い受け人らの荷さばき所に使われていた。 解体するのは損傷が比較的少なかった南側の建物を除く施設。 震災後も一部の買い受け人らが使用していたが、立ち退いてもらった。 鉄柱や屋根などを壊す重機の音が響く。 岸壁に係留するトロール漁船の乗組員や通りかかった住民らが作業を見守っている。 年配の男性は 「この施設ができたころは宮古港はサンマ漁船の全国一の基地だった。 花火を合図に一斉に出漁する光景は勇壮で、忘れられない」 と懐かしんだ。 宮古漁協によると、更地にした後の利用計画は決まっていない。 ただ、震災で地盤が50センチ前後沈下しているとみられることから、地盤がかさ上げされ、防潮堤も造られる可能性が高いという。【鬼山親芳】 |
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