98 小山田橋とラサの煙突


横浜在住の Tash さんという方からメールをいただいた。
宮古の思い出を記した文章で、アルバムから複写したという4枚の写真が添えられていた。
文章も写真も興味深いもので、了解を得て公表することにした。
ここに掲げた写真は、添えられていたもののうちの1枚である。
文章は 「渡船と小山田橋のことなど」 と題して、もう1枚の写真とともに 「投稿欄 ~ おらが宮古ばなす」 に載せた。
ぜひご覧いただきたい。 

ラサの煙突と、木造の小山田橋――
鮮明に記憶に焼きついている懐かしい光景である。
ただ、当時、自分では橋を、「吊り橋」とばかり呼んでいたような気がする。
小山田に架けられた橋だから「小山田橋」と呼ばれていたはずだとも思うのだけれど、
自分が「小山田橋」と呼んだという、はっきりした記憶はない。

八幡河原の渡船(とせん)も記憶には残っていない。
あとになって記録を読み、吊り橋が架けられる前は渡し舟があったのだと教えられた。
記録では「繰り舟」と書かれていた。
船頭はおらず、乗った人が自分で綱を手繰って向こう岸へ渡るのである。
築地と藤原を結んだ渡船には船頭さんがいた。
これはだいぶ後年まで営業していたから覚えている。
藤原の河口防潮壁の外側には渡船場の跡も残っている。
調べてみると、1975年頃まで営業していたらしい。

ちなみに、八幡河原の吊り橋は1958年頃までに架けられたらしい。
鉄筋に永久橋化されて正式に小山田橋と名づけられたのは1978年である。
                                              (じん)